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平成21年度亀戸天神例大祭報告 by仁保精親

平成21年8月23日、亀戸天神の例大祭が始まりました。

亀戸天神の祭りはどういうわけか、夏の一番暑い時期に始まります。今回も太陽の
突き刺さる日に照らされながら神輿を担いできました。

その前に、亀戸天神のいわれは、正保三年(1646年)九州大宰府天満宮の神官、
菅原大鳥居信祐公(菅原道真の末裔・亀戸天神の初代別当)は神のお告げによって、
梅の枝に天神像を刻み全国に天神信仰の布教活動を行った。そして江戸本所亀戸村
の地に小さなほこらにご神像を祭りました。
また四代将軍徳川家綱が明暦大火の復興の地として鎮守の神様として天神様を祭る
ように現在の土地を寄進したのが今の亀戸天神なのであります。
別名「東宰府天満宮」または「亀戸宰府天満宮」とも云われていましたが今は
「亀戸天神社」と言われています。


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さて本題にいきますが、今回の祭りは影の祭りで、宮元亀戸3丁目と飛び地の町会
の祭りでした。従って宮元町会と飛び地の町会が別々に神輿を担ぎ練り歩いていく
寂しい祭りでありました。

ただ来年は四年に一回の本祭りで天神祭りの神幸祭の御鳳輦渡御(ごほうれんとぎょ)
が始まります。これは輿(こし)に車輪の付いた乗りものを牛に引かせて練り歩く
ものですが、この鳳輦に亀戸天神のご神体、つまり藤原道真公をお祭りして各町内
(両国まで)渡御を行うもので、鳳輦の前後は獅子頭や太鼓の山車(だし)が加わり、
馬にまたがった神官や色鮮やかな衣装をまとった神官たちが列を作り練り歩きます。
なんともいえない華やかな雰囲気を演出していきます。

また本社神輿や各町内の神輿25基の盛大な連合渡御があります。この時、亀戸地区
の子供から老人まで、そして犬猫までもが大変な大騒ぎであります。
当然元気な人達が駆けつけ、神輿の中でひとやふたつの小競り合いが起きます。
これも江戸下町の風物詩となっていますが、神輿運行側の青年部の人達は大変であります。

さて亀戸天神の宮元町会は昔らの祭りの方法をとり行います。それは神輿が各町内また
1ブロックごとに神輿の休憩所をつくり、担ぎ手にお神酒を振舞ったり、簡単な食べ物や
お茶なども振舞ったりします。


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神輿を担いで、宮元町会やその周りの町会を一巡するだけで、約1時間程度しか掛かり
ませんが、実際、休憩しながら神輿を担いでいきますと、4〜5時間ほど掛かります。
最初の神酒所で休憩すると、ビール、麦茶、焼き鳥、ゆで卵、きゅうり、など等を振舞
われ、神輿が出発する時には、担ぎ手全員がその休憩所のお手伝いされた人達に感謝の
意をこめて三三七拍子の「一本締め」の手打ちを行います。そして神輿の渡御を行います。
すぐさま次の休憩場所にたどり着くとビール、麦茶、から揚げ、イカ焼き、菓子類など等
食し「一本締め」を行い次の休憩場所まで神輿の渡御を行います。これを6〜7回続けて
いくわけですから、担ぎ手も大変です。

最初の2〜3回までは適とうにアルコールも入り、ツマミも入りでテンションは上がって
いきますが、途中からスイカ、すもののトコロテン、など胃の中にどんどん入ってきます。
圧巻は葛餅で有名な船橋屋さんの本店が同じ町会にありますので、葛餅一人前とアイス
キャンディがどっかと胃の中に入ってきます。

従って、休憩の4回目、5回目あたりから、腹がアルコール付きの満腹状態で、うだる
暑さの中で神輿を担いでいくわけですからテンションが少しづつ下がっていくわけです。
ここが担ぎ手の気合の入れどころになっていくわけです。

神輿渡御が町会一巡して、天神様の境内に入っていくころには、担ぎ手は完全に出来上
がった状態で入っていくわけですから、神輿の棒の奪い合いですぐさま小競り合いがあり
ますが、そこは慣れたものでうまく収まりながら入っていくわけです。

これが、亀戸天神例大祭の宮元町会の風物詩となっています。東京都内の町会で、こうし
た昔からの神輿の担ぎ手に対しての振舞い方は少なくなっており、亀戸天神の宮元町会は
その少なくなってきた「しきたり」を伝えている町会でもあるわけです。また宮元町会の
心意気を見せているわけです。


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久しぶりに、昔からの祭りの雰囲気を堪能し、心の洗濯をしました。

こういった風情ある町会はいま少なくなっていますが、ぜひとも後世に残して頂きたいと
思うばかりです。江戸っ子の亀戸天人町会の心意気をレポートしました。
レポートはJIDA会員の仁保清親でした。

更新日:2012.01.06 (金) 08:25 - (JST)