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わたしのあかり2

わたしのあかり2

●04
中学生のある日、体育祭で5000メートルを走る事になった。
それまでは、リレーしか出た事が無く、はっきり言って長距離は苦手意識があった。
でも、何とかなる・・と練習もせずに挑んだ体育祭は、最悪の結果となってしまった。
このままでは、終われない・・と考え、翌日からジョギングの日々が始まった。

それが夜の街並との再会となった。
家を出ると、街路灯など無い庭が静かに休息していて、それを邪魔しないように通りまで静かにし、
そこから走り始める。
まずは、あそこの街路灯まで…‥、そして次に見えてくる光…‥と、近くに明確な目印を
決めることで楽に走る事ができる。

闇は、積もった雪が全てを隠すように、多くのモノが見えなくなる。
夜は、昼間とは異なる世界を作り出し、そこの住人になることが自分にとって昼間の
世界を忘れさせてくれる心地よい場所となっていた。半年ほど毎晩走り、長距離に
ある程度の自信がついた頃走る事をやめ、散歩しながらゆっくりと夜を楽しむように
なっていた。

見るという行為は、眼から光線などを出している訳では無く周辺の光りが眼に入って来る
のを情報処理しています。それは、日中の太陽光の下から月の出ていない闇夜までに対応し、
瞳孔や脳が対応します。昼間は光りが強いため情報量も膨大となり、
多くのモノが見えて来るので作業には適していますが疲れます。
夜は、それらの情報が低減し脳の働きにゆとりが生まれます。昼の喧噪を隠してくれて、
イマジネーションを高める「夜」というモノに惹かれるのも解る気がする。



●05
10代後半に海の家で泊まり込みのアルバイトをした。南房総にあるその海岸は、
日帰り客が8割という海岸で、3時には海の家の前が騒がしくなる。
すると、親父さんが店あけるぞ・・・と、どこよりも早く雨戸を開け、行き場の無い
海水浴客を招き入れる。与えられた仕事は、海の家と海の中間の浜辺にテーブルと
金庫とパラソルとボートをもって一日中座っている。

日の出前から日の入りまでを一ヶ月間、同じ景色を見続けた。
静かに闇が後退し始める、東の空から夜の色が抜けて行くように明るくなり始め、
そこに色々な色が交互に現れる、そしてオレンジ色の水平線から海岸に向け一筋の光りが続き、
あっと言う間に全体が明るくなる。そして、毎日違う表情を魅せてくれる。
昼間も夕方も、毎日が違う光りを魅せてくれる。そして夜、満点の星空が広がり、
ゆっくりと一日を振り返る。

光は、可視光(380nm〜780nm)と言われる波長の中に、紫から赤までに様々な色の波長がある。
日本の虹でいうところの紫・青・青緑・緑・黄・橙・赤という代表的な色と、
その中間色のまた中間など数えきらない表情を持っている。昼間の空は、
その数多くの色を含んだ状態で、いわゆる透明色として認識されている。

そして、大気を通過することにより短い光だけが吸収されたり、水気などの屈折により
虹のように単色が見えたりする。
大きな空を見ていると、水しぶきや、遠くの雨雲、気圧の変化による大気濃度の違いなどが
複雑に交錯し、不思議な表情を作っている事がよく解る。

また、周辺に光の無い海辺などの空は、眼の順応により星などの輝度に合わせる事で、
より多くの星を見ることができる。今のように、光が反乱していない昔の方々は、
どれほどの星を見ていたのか…創造するだけでも、凄い事だ!

更新日:2012.01.06 (金) 07:51 - (JST)