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デザイン本音トーク「生き残るためのデザイン」1



(スピーカー発言抜粋)

1日目:4月29 日(昭和の日) 13:00〜18:30
主催:JIDA 2010ビジョンクエストを推進する東日本プロック委員会/連続フォーラム第6回
場所:JIDAギャラリー 参加:30名

◎開会挨拶:杉本功雄 JIDA 2010ビジョンクエスト担当理事
◎司会:堀内智樹氏



◎佐野正氏:佐野デザイン事務所◎ 15分+10分feedback time
「JIDAのビジュアルイメージとLRTのイメージ」
・JIDAのビジュアルイメージを試作してみた。ビジョンを感覚的に共有したい。
・JIDAって何?と人によく聞かれるが言葉で伝え難い。
・皆デザイナーなのでJIDAをビジュアル化してはどうか?
(いずれこのWeb上でJIDAのイメージをアップ出来ればと考えています)
・言葉の議論はあるが、言葉だけを追っかけすぎると実体から遠くなる。
・会員は夫々考え方が違うのがJIDAの実体ではないか。
・スライド:8種。(自立した個人の集まり、関係性、しっかりした幹でなく等)
・LRT(路面電車)の全国大会で発表した、横浜の未来のLRTイメージなど。
・デザイナーのいない領域へ行くと結構受ける。




◎福田一郎氏:A&F株式会社◎ 15分+10分
「生き残るためのデザイン スライド:1才の自分の子供の写真」
・子供が生まれて、自分以外の所に関心を持つようになった。「伝える」「繋げる」。
この子の世代を社会とどう繋げるか。
・デザイナーはモノ、こと、社会との関係性の中で生かされている。そこを悩みながら考えて
いる。例えば環境。夏の暑い時、冬の寒い時、エアコンやカーペットを使う。
エコ、ロハスが言われている時、果たしてやめることができますか。
・毎日の仕事の中でも相反することをやっている。製品デザインもクオリティを上げて行くのか、
コストか。現在を見るのか将来を見るのか。ユーザーかクライアントか。最終は作るべきかへ。
・葛藤、悩まされている。どの程度で皆さんは線引きをするのですか。




◎佐野邦雄氏:フリーランス 桑沢デザイン研究所講師◎ 40分
「中国行きで考えた日本のデザイン状況」
・1992年、中国で「日本は実験室だな」と思った。今の状況や考え方の傾向は実験室と設定する
とかなり収斂する。
・実験は仮説提示と検証だが、効率が支配すると仮説も想定内に収めてしまう。問題は実験者は
自分自身を絶対対象にしないことだ。自分とは何かを問わない。
・デザインは分析的精神と全体的・直感的に本質に迫る芸術の合体だが、実験室ではどうしても
芸術の居場所がなくなり大胆なイメージが出し難い雰囲気になる。
・中国で色々考えた。家族・生活の原型。デザインは最早、基本的な自己表現の媒体になり得てい
るのではないか。一方、そのモダンデザイン自体が多文化混在のアジアに本当に相応しいのか。
「世界の工場」、今ここが世界を動かしているという実感の中で「デザインの役割」を考える。
・20世紀日本のデザインが投げかけた課題。「デザインは現象を作る」。「デザインに悲しみは盛
れないか」。「大胆なイメージの欠落」=(JIDA記念誌の題名「精緻の構造」だけか)。
・今、日本に潜在しているエネルギーは何か。「知識・知恵の徹底」「生活者・そのコモンセンス」
・倉俣史朗氏は「21世紀は20世紀の諸問題が矛盾として噴出する」と。今、正にその渦中に。




◎鈴木宏明氏:キューブデザインオフィス 愛知産業大学◎ 30分+10分
「福祉デザインの展開」
・愛知産業大学通信学部でデザインを「福祉デザイン」に特化して教えている。常葉学院の医療専
門校の理学療法士・作業療法士コースに実施。福祉デザインはリハビリテーションからの発想。
・医療は一人一人に対応。これからのデザインも一人一人に対応すべき。
・リハビリも一人一人全く異なり進行性の人は日々変わる。デザインは援助は出来るが限界もある。
従来のモノ作りのデザイナーが集まっても出来ない。だが携わる人にデザインの教育は出来る。
・医療現場では様々なモノを作る。デザイナーはそこは得意なのだが、残念ながらどういうものが
患者に必要なのかがつかめない。
・スライド:子供の世界は人間作りだ。人間作り、もの作りから見るとヨーロッパに比べて日本は
遅れている。保育園は厚生労働省、幼稚園は文部科学省で繋がっていない。
・第三の医療と言われるリハビリは生き身の一人一人に対して人間の尊厳を取り戻す作業。
自立して元の生活へ戻してあげる。
・デザイナーが関わると面白い発想が出来る。半球をつけた「バランス下駄」。指先の麻痺回復用
に棒を孔に差し込むようにした「ペグボード」。患者のモチベーションを如何に高めるかだ。
・IT導入もいいが、現場では認知症患者の簡単なメモ帳をどう使わせるかをやっている。
ドロドロの現場の人間的な所。ここが重要。
・現場の人たちは「美的なもの」何もない。デザイナーがもっと手助け・働きかけをしなくては。




◎國澤好衛氏 首都大学東京◎ 30分+10分
「先端デザイン教育」
・「先端ではない」。東芝30年。4年前大学へ。同じ法人で大学院を作り、学生(社会人)対象
にモノ作りの専門教育をやっている。
・スライド。「マルチディシプリナリーな人材育成とデザイン教育」:ディシプリン=学問領域。
・デザインは非常に幅の広い知識が求められる綜合的・統合的な活動だと思うが現実の教育は行
われていない。
・産業デザイン振興会は、新しいタイプのデザイナーを育成する必要があるとして、2004年に
「デザイナーの需要と市場規模」の報告書を出した。日本は20万人位。アメリカは50万人位。
10年後は日本で80万人必要と。背景に未着手領域とデザインテーマが眠っている筈だと。
・デザイナーも綜合的な役割を担い、プロデュース、コミュニケーション、問題解決・用途解決
など今までと違う質的な問題あり。現状のデザイナーが新領域に本当にチャレンジ出来るか。
・自分なりに整理した。1)形を操作して、品質を追求したりユーザーテイストを獲得。2)シス
テムやプロダクトとユーザーとの関係を作って行く。コミュニケーションとか、新デザインの
登場時に新しいコンテクストが作れたか、新しい価値と経験が提供出来たか。3)社会システム
を文化的視点から再編集する。今までのシステムは機能的、経済的、合理性で部分最適設計が多
いが、地球全体で俯瞰的に議論すると矛盾が沢山ある。文化的視点は、20世紀テクノカルチャ
ーがあまり扱わなかった心理的、社会的、文化的コンテクストなどを議論することにより、全
体最適のシステムが作れるであろうと。
・こうしたフェーズでのデザイナーの役割が益々期待されるにも関わらず、教育が殆ど出来てい
ないのではないか。首都大学東京を中心に東京都の展開の実際をスライド複数で説明。
・首都大学東京のホームページをご参照頂きたい。




◎野中寿晴氏:無二房◎ 40分
「デザインについて考えていること」
・インダストリアルデザインの歴史から。1920年代、T型フォード20年続いていたが、GMの
社長は「これからフォードみたいでは駄目だ」「これからの自動車は見かけ」だと。
・当時のGMの柱。1)広告 2)デザイン 3)ローン。その体質が100年経った今の状況へ。
・なぜモデルチェンジをすると売れるのか。問題は、まだ使えるのになぜ欲しくなるのかだ。
・ロラン・バルトは「モードの体系」で。ある人は、人間は二つの世界に住んでいる––「現実
社会」、一人一人異なる「自分の内面」––そこの欲望がモードを発生させると。関連して
ニーチェ(権力への意志)、ハイデッガー(実存)、アインシュタイン、ベルグソン(記憶・
知覚)の諸説を紹介。
・美について。フッサール(知覚・観念は必ずしも一致しない)、プラトン「真・善・美」。
カント「快・善・美」、ベルグソン「美の本質には善いという直感か感性か」。
・野中説「美は純化と異化と秩序化」—「純化」:造形の意思で彫琢して残るもの––モダンデ
ザインでやってきたことの一つ。「異化」:意識するしないに関わらず一期一為として出て
来る。
「秩序化」:その結果として秩序を開示する。そうでなければ美とは言えない。
秩序だけでは美とはならない。
・道具・モノに即して。宗悦は「道具の美の直感は、使用という行為なくてはあり得ない」と。
・知覚・観念につき道元は、行動や触れることは不立文字=文字に出来ない。座禅という行為
でと。
・鈴木大拙––「美には個性が必要」。「無の中で異化すること、それが個性」だと。
・虚子––俳句:「客観的な事実を詠って内面を表現」。ID:「客観的なモノにして言う」
––宿命あり。
・六本木でベルトイヤーの椅子見たがその一角が光っていた。デザインの力だ。最終は造形。
音楽は音とリズム。
・デザイナーは「美の地平を拓く」に尽きる。司馬遼太郎:「文明に美が伴った時に文化になる」。
・ミース「Less is more」、ベンチューリ「Less is bore」。野中「Less is deep」
と言いたい。
・野中:IDを日本語で工業デザインだが西田幾多郎風に「行為的造形」。行為としての造形を。




◎大倉冨美雄氏:大倉冨美雄デザイン事務所◎ 60分
「デザイン力、デザイン心」
・スライド:ミラノ時代の椅子、照明器具など。天童木工の椅子、パルコ自転車、東芝PC、ロゴ、
20世紀モニュメント原型、八ヶ岳山荘、構造を意匠に見せた耐震改修の校舎、表参道河合楽器
ビル、「新日本様式」でプロデュースした会場設計、JIDA「報酬」の本、静岡文化芸大校舎
など。
・今日は若い人への話が重要と考えた。
・デザインは間口が広い。その中で何が大変か。お金を稼ぐことが難しい。はっきり言って。
・定収入がある職業と、デザイン事務所をやって一件一件稼ぐ仕事とは根本的に違う。
・学生が社会へ出て就職することは、イコール、定収入を得るところへ所属することになる。
つまり、最初から自分の本来の能力で稼ぐことにならない。そこに、昔から疑問を持っていて、
自分のやり方では、この国では食えないと思い日本から出た。個人を作ってこなかった社会。
・帰ってきた時も、やはり日本でその問題を解決しなくてはならないという気持が強くあった。
・この「報酬」の本を纏めた時も、デザイナーがどうやって稼ぐかをメインに考えていた。

・しかしデザイナーは、パターンはあるが「稼ぐ話としてのデザイン」をやる人が非常に少ない。
・無理がない話だか、日本は個人になかなか稼がさない仕組みになっている。一人で稼がさない。
・就職することによってまた色々あるけど、定収入だと「もうここで頑張るか」ということになる。
・しかし、今の時代になったからこそ言える、「新しい考えを入れて行くべき」という問題がある。
・広い意味で、今、時代が完全に変わっている。「デザインの時代」になっているのです。
・だけど、デザイナーとして評価する人はいない。国から見ると、「デザインはもういいんでしょ」
となる。大手電機メーカー、大手自動車メーカーのデザイナーが頑張って「日本を世界一のデザ
イン大国にしたではないですか」「デザインは成功したから、もういいよね」となる。
・ところが、その場合のデザイナーというのは、大企業の「所属デザイナー」としてであって、個
人の才能というのは、そこで既に消えてしまっている。
・どうしたらデザイナーの社会的地位を上げると共に、デザインがやっている経済対価、経済評価
をしてくれないのかという問題が、昨日も今日も大問題だと思う。今、事務所は必死なんですよ。
・私は「デザインはラーメン屋より悪い」と時々いう。松下幸之助さんの話からの引用ですが、何
もなかったら「屋台ラーメン」をやると。リヤカー一つあればいい。1年我慢してやれば色々分
って来る。客の反応はデータとして活かせる。それがビジネスです。デザインは、凄く時間を
かけて、それで売れなかったらタダだよと言われているわけでしょう。だから、下でラーメン屋
をやって2階でデザイン事務所をやるとか。つまり個人の場合、定収入で安定できる方法はない。

・JIDAで500人いてフリーランスが圧倒的に多い。そこでどうやって稼ぐかをシステムとしてや
ってこなかったことが、本当に忸怩たる思いです。しかし、時代の流れの変化の中で、今、出来
るようになったという言い方の話になっている。
・まず、「デザイン的なソフトをタダで売らない」方法を考えなければならない。ソフトをどうや
って確保して行くかと言うことに関しては相当に勉強が必要だ。既存の知的財産権の問題をやっ
ていたのでは駄目なのです。
・デザイナーの言う知的財産と、特許庁や経済界、例えば企業の特許部の知的財産はかなり捉え方
が違う。基本的に、大手が考えている意匠権は、自分の所で商品化したモノを真似されないため
に押さえるためのものなのです。ところがデザイナーの多くはアイデアを売っているわけです。
しかも、保護されない。
・デザイナー自身が知的財産権や意匠権についてのベースを勉強しない限り、今の社会、経済界、
産業界に対してものを言うことが出来る地平にたどりつかない。誰もやってくれない。
・「お金を稼ぐにはどうするのか」は露骨だが、もう少し綺麗にしながらJIDAの課題にして行き、 
JIDAをもっと売ると共に、個人を売るようなシステムを作って行かなくてはならない。
・更に、それでも尚かつ難しいのがこの国ということがある。何故か。今の産業界の構造、国を動
かしているシステム、これらを知っていなければ話が出来ないということがある。いくらデザイ
ナーが底辺で言っても、誰も相手にしません。

・JIDAはデザイナー団体だから言うけど、「デザインをやって苦しむ」のは我々なんですよね。
それを殆ど知らない人が多いということなんです。ここに大きな落差がある。
・一つのモノを作るのに、どれだけ時間をかけているか。ところがお金にならないことばかりやっ
ている。我々の多くは。それはタダにしてはいけないのです。そのことは経済界の人も産業界の
人も政治家も誰も分っていない。私なりに訴えているけど個人の力ではとても追いつかない。
・今、いい時期に来たけれども、ある程度勉強した上で、標的は何か、敵は何か、どこに向かって
何を言うのかをはっきり認識してやる。もう競馬の最終レースのようにガンガン鳴っている時。
・今、夫々の分野にタコ壷化が起きている。それはいい換えれば日本社会の姿です。そういう中で、
一番上の上澄みの人は、なんだか分らないけどデザインという言葉にしたくないし、デザインが
分らないので使わない人もいるが「今、デザインらしい」ということは分っている。
・どういうことかというと、21世紀になって、日本はモノ作り国家ではやって行けないんですよ、
はっきり言えば。どうするか。「知識」を売って行くしかない。別の言葉で言えば、「知識を含ん
だサービス業」。モノ作りの国家からサービス業の国家への転換が起こっているのです。今。
・サービス業としてのデザインを認識しない我々は、既に乗り遅れてしまっているということです。
・最後に若い人へ。「時代が新しくなったと思え」と。だから「我々は新しい職業を作って行くん
だと」「それが出来るんだと」「じゃあ、どうするんだと考えよう」と、そのくらいの気持で。

◎閉会挨拶:JIDA2010ビジョンクエストを推進する東日本ブロック委員会 佐野邦雄委員長

更新日:2012.01.06 (金) 10:40 - (JST)