honne_2_1|JIDA東日本ブロック                     

デザイン本音トーク「生き残るためのデザイン」2-1




(スピーカー発言抜粋)

2日目:5月6日(振替休日) 13:00〜18:30
主催:JIDA 2010ビジョンクエストを推進する東日本ブロック委員会 連続フォーラム第6回
場所:JIDAギャラリー 参加:35名

◎開会挨拶:吉田晃永 東日本ブロック長
◎司会:堀内智樹氏




◎村田桂太氏:ケイ・ムラタデザイン◎ 15分+10分feedback time
「早期デザイン教育の必要性」
・凄い大きなタイトルを貰いましたが、今日は3人いる子供の身の回りについてお話ししたい。
・昨日は子供の日でしたが、一番下が二才の男で「サムライ戦隊・新ケンジャー」の「殿」が大 
好きでトイザラスで剣を買って腰に差してなりきっている。デザイン的にいうと嫌な剣だなあ
と思うが、実は彼はこの剣が欲しいのではなく「強い殿になる自分が欲しい」のだと気付いた。
「自分に何か付加価値をつけたいんだ」と。こういう願望は2才位からあるのだなあと。
・今、小学校へ入学すると一番始めに持たされるのはなんだと思いますか。勿論教科書やお道具
入れですが、私が住んでいる浦安市では「防犯ベル」を持たされる。そして道を訊かれたら逃 
げましょうと。児童館には不審者情報が貼ってあり、公園へは親が一緒に行き「そんなことし
ちゃダメよ」となる。管理されているわけです。幼稚園へ上がってからずっと。ダメダメ教育
をずっとして行くと、彼らは段々新ケンジャーになれなくなってくる。自分は言われた通りの
ことをやって行こうとなって行く。
・一番上は女の子で5年生ですが、彼女は日頃のニュースを親と一緒によく見ていて、環境問
題や資源問題に非常に興味を持っている。そして、家中の電灯を勿体ない勿体ないと消して回
るのです。それは彼女にとっては凄く深刻なことなのです。それはそうですよね、「自分たち
の未来がない」と。そういう風に言われているわけですから。
・そんな環境で子供たちが育っていて僕自身思うのですが、この地球ってどうなっちゃうのかな
と、率直な疑問なんですね。モノ作る人間にとって、これ以上作ってどうなんだろうかとか、
いろいろ考える。

・僕は幼児教育がどうのこうのよりも、子供に何かを教えるのではなくて、子供たちが自分自分
で自分の持っている可能性や、自分の出来ることを発見したり、自分で決めることだったり、
そういうことをする必要があると思うのです。要するに「心の教育」をするということかなと。
・それを強く思ったのは、14年前、海外援助の活動をしている友達に誘われて、インドのボン   
ベイの空港の近くへ行ったことがあるのです。一週間前にテロで爆破されたばかりのビルがあ
ったりして街中が不安定な状況でした。スラムが何キロも続いている。そんな環境の中で支援
活動をやっている。                                      
・街の人々は「自分たちがどうしていいか分らない」要するに「生活をどう営んでいいか分らな
い」という。そうした中で、お金を援助するのではなく教育を援助しようと活動している。
・以前援助した村へ行くと子供たちがニコニコ笑って、学校がなかった所に学校が出来たんだと
自慢している。ここに希望があるなとその時に思ったんです。自分たちがこういうことをすれ
ば可能性が見えるということを。可能性を見せてあげると人はキラキラ光り出してくるんだと。
・今、子供たちの環境って心の中の飢餓地域になりつつあると思う。そして、デザイナーとして
何か子供たちに関われることであったり、一緒に考えることが出来たらいいなと思っています。
・最後のスライドは「風鈴」ですが、デザイナーの仕事は風鈴に似ていると思う。別に便利なも
のでもないし、あってもなくてもいいものですが、風鈴があることで風を意識したり、暑い日
に涼しいイメージをもつことが出来る。こういうイマジネーションを育てるには、子供たちの
可能性だったり、やる気だったり、管理されてないところで何か見つけてあげる、引き出して
あげることが必要ではないかと思っています。




◎浅井治彦氏:(有)アルス 明星大学◎ 15分+10分
「エコデザインのこれから」
・(本音トークで行くと)僕がエコデザインを始めたのは1996年ですが、その時変な話、高尚
な考え方があったわけでなく、ヨーロッパでエコデザインでメチャメチャ大成功しているデザ
イナーにたまたま仕事の関係で会っちゃったんですよ。エコデザインで皆に良いことやって、
自分のデザイン的にも大成功して、しかもお金持ちになっちゃうことが出来るのだと言う邪な
考えで、「これはエコデザインやるしかないな」と。
・ヤン・ドランガーさんという人です。僕が知る限り、世界で初めてエコということを、純粋に
4Rをビシッと考えて、かつデザイン的に大成功したのはヤン・ドランガーさんです。実際、
物凄く素晴しいスタジオだった。ストックフォルムの真中の森の中に大きな農家を移築して、
中に入るとメチャメチャ近代的で普段は一人でのんびりやっている。デザインは5年に一個
しかやらない。それを見て、これはもうエコって出来るんだと、物凄い力つけられた。
・なんで大成功出来たか。実は彼が30才代の時に、エコを一生やろうと志を持って。例のフラ
ットパックのモデルを作って通常のヨーロッパの家具デザインの売り込みのやり方をせずに、
イケヤという世界最大の会社の社長に「ティリリリーン」と電話をして、どうしても見て貰い
たいものがあるからと直接コンタクトをとったんです。それでコンセプトと実物で説明した。
社長はエコデザインはどうでもいいけど、直感で完璧に見て絶対これは売れると思ったんです
よ。普通だとヨーロッパではロイヤリティ契約を結ぶ所ですが、彼はそれをしないで「われわ
れでこのデザインシリーズのために会社を作りましょう。私はデザインを、あなたは製造と販
売をやってくれませんか」と。それでイノベーターという会社を50%ずつ出資して作ったん 
です。世界中で大成功した。利益の半分は彼のところへ行くわけです。ロイヤリティというケ
チなものじゃない。

・つまりデザインというのは、本当にオリジナリティで本当にいいものをやれば、そのくらいの
力、それくらいの駆け引きのできるネタになることが眼から鱗で分ったんです。「デザインっ
てそんなに価値があるものなんだ」と。 
・その代わり徹底してやる。マテリアルから何からメーカーに開発させて、同行した無印のバイ
ヤーとプランナーと僕が質問攻めしても「それはこうだ、これはこうだ」と全部言い放つんで
すよ。物凄くよく考えられている。やはり、ただ5年間で一個やっているだけではなくて、
それだけのことを徹底的にやってるんですね。とにかく素晴しかった。
・ただ、それから12年経って地球環境が本当にヤバイ状況で、誰もがちょっと「嘘じゃないん
じゃないの」という所へ来ているので、単にビジネスという問題だけではなくて、やはり人間
のモラル、デザイナーのモラルとして考える。我々は物凄い力を持っているんで、是非、そう
いうことでやれたらいいなと思っています。



◎池田英俊氏:デザインスタジオポプラ 桑沢デザイン研究所講師◎ 15分+10分
「フリーランスデザイン事務所の今とこれから」
・100年に一度の不景気になってきますと、全くメーカーが仕事を出さなくなってしまう。と
いうのは、インハウスデザイナーを抱えているわけですから、会社自体の仕事がなくなればイ
ンハウスを遊ばせておくわけにはいかないということで外部に出さない。今まで外部に出して
いたものをインハウスでやってしまって、外部に殆ど仕事が出てこない。それが如実に現れて
きたのが2年くらい前からで、それまでずっとコンスタントに続いていた仕事がパタッと来
なくなった。
・では、自分たち以外のところに仕事が行っているのかというと、そうではなくて、実は新製品
を開発したけれど、筐体は一緒でLEDの数だけ増やしたので、LEDの図面と版下だけ作って
––という風な依頼ばかりがくるようになりました。要するに新規に筐体を開発しなくなった。
それによって事務所の売り上げも半分以下になりスタッフも実際に半分以下になりました。周
りの口が悪いのは「社長がダイエットしないで事務所ばかりダイエットしているんだね」とボ
ロカスのことを言う。本来ならば人件費が一番コストとして掛かるわけで、家賃も抑えてもう
少し事務所も小さくしようと思ったんですが、そこまですると士気が下がってきます。そう思
って今の状況で何とか頑張っている状態です。
・知り合いのデザイン事務所の社長とかと色々話しをしますと「いやもう不景気だからねえ、と
りあえず動くのはやめよう。どれだけ動いてもそれだけの見返りが帰ってこないから景気が良
くなるまでおとなしくやっているのが一番」という話を散々されます。確かにそうなんですが、
実際に企業は大きくなれば、それだけの収入もあって、それだけの支出もあるわけで、それは
中小企業になれば桁が変わってくる。で、個人の財布もきっと同じじゃないかと思うんです。
例えば新入社員で18万円の給料を貰っても出て行くのも交際費であったり何であったり、結
局は後でゼロになるかプラスになるかです。                   

・私どもみたいな小さなデザイン事務所はスタッフも数名しかいませんので、1ヶ月にウン十万
の金額が増えるだけで普通に生活して行けるんじゃないか。そう考えると、今まで大手企業か
ら何とか大きな仕事を、インダストリアルデザインのフルコースをとることを目的としてやっ
てきたけれども、何とか自分の中で、小さな規模の会社と直接やって、凄く密着した感じでや
って行くことによって、ウン十万円のお金くらいならば、なんとか稼いでやって行けるんじゃ
ないか。そう思って逆に、「景気が悪いからウチは動かないよ」というよりも折角自分でやっ
ているんだから、もっと自分なりの開拓の仕方があるんじゃないかと思うようになりました。
・現在、桑沢デザイン研究所の非常勤講師をやっているのですが、プロダクトデザインを教える
だけじゃなくて、憧れになるとまでは思っていませんが、インダストリアルデザイナーを目ざ
して、それになることによって、こんなことが出来るんだよとか、こんな楽しいモノ作りが待
っているんだよとか、プロダクトだけでなくて、こういったものもデザインとしてもっと広が
りを持たせられるよとか、そういったことも出来るだけ楽しく教えるように努めています。
・それをやるためには自分たちの事務所もしっかり稼いでなければいけないし、それだけ自分た
ちも精力的に動いていることが、やはり顔にも出るしオーラにも出てくると思うんです。そう
いう意味で、もっと一生懸命、自分たちが前向きに動いたらいいんじゃないかと、日々思いな
がらやっています。




◎山口泰子氏:(有)モノ・モノ◎ 30分+10分
「まだチャレンジ出来てない話し––––クラフトの世界」
・すでにインダストリアルデザインから足を洗って、クラフト商品を売っています。クラフトと
は何ぞやという説明はややこしいので、モノを持ってきました。手元にあったごく一部で軽く
て割れないモノだけです。陶磁器、ガラス、鉄、染め織りと多様ですが何となくイメージとし
て掴んでもらえればと。
・なぜクラフトに首をつっこんだか?                         
サラリーマンデザイナーの10年目、思うことがあり、とにかく辞めてみた。有り金全部を持
ってボルネオ島へ行った。そこは四季の変化がなく、モノがなく、時間が無限にある社会です。
それに比べて日本は、やたらにモノがあり時間が分刻みの社会で、大きな落差、強烈なカルチ
ャーショックだった。帰国すると先輩は「あんたねえ、工業デザイナーたるもの、まずはアメ
リカかヨーロッパに行くべきだ。初体験がボルネオじゃあ致命的だな」と。まさに致命傷を負
った状態でした。とにかく社会復帰の糸口を求めて先輩を訪ねたり、物質文化の象徴であるデ
パートを歩いたりした。しかし、デパートの下から上までぎっしり詰まったモノの中に欲しい
ものが一つも無かったことのショック。我々はこんなものを作るため必死に働いているのか?

・クラフトとの出会い
「秋岡芳夫とグループ モノ・モノ」の「暮らしの提案」展で漆の大椀を見つけて初めて欲し
いモノに出合った。当時はプラスチックやアルミの量産品に押されて、クラフトが市場から駆
逐されつつある時代でした。通産省の音頭とりで地場産業振興事業が盛んな時で中央からデザ
イナーが派遣され、こんなモノを開発しろと提案し作り手が試作する。しかし、まだ産地問屋
が仕切っていた産地では、大方の新製品は問屋システムからはじき出されてしまった。作る技
術も欲しい人もいるのに売る人がいない。しかもプロジェクトは補助金を管理する行政担当者
がレポートを書き終えたところでちょんとなる。
・それじゃあ、モノ・モノで売ってみようと。それで始った「お店ごっこ」は、まず展覧会+即
売方式で。75年の素木のモノ展が爆発的な関心を呼び、ちょっとした木のモノブームに。デ
パートや大型店舗がクラフト売り場を作ったり、大型の展示会を企画するようになって、多少
はクラフト商品が市場に定着したかの錯覚も。
・90年代、バブルの崩壊とともに、デパートは販売効率の悪いクラフトから撤退して、クラフ
ト販売を週単位の展示即売会に切り替えて行った。商品を仕入れることなく、会場管理も在庫
ストックのリスクもすべて出展者(作り手)持ちだからデパートは都合がいい。が、作り手は
たまったものではない。

・そこへもってきてグローバリゼーションの波。工業に起きた時と同じことがクラフトの世界で
も起きた。一桁違いの安い手作り品が、しかも、そこそこの品質のモノがどんどん入る。その
結果、多くの産地で廃業が相次ぎ、組合や問屋が機能麻痺して、作り手はまたもマーケットか
らはじき出された。
・クラフトを定義すると、「常に流通システムからはじかれ続けたモノ作り」と言ってもいいほ
どだ。40年前には新しいが故に問屋システムからはじかれ、少量生産故に工業中心に大型化
した近代流通システムからはじかれ、今は常設売り場を失って、展示会に振り回される日々。
・散々模索したあげくの結論は、やっぱり「クラフトの流通システムを構築しよう」だ。21世
紀、地球規模で暮らしのありようが問われる時代こそ、クラフトの出番だと意気軒昂。それに
は何よりも小売店の育成が先決。ユーザーの開発も重要。作り手だけが集まってボヤイていて
もラチがあかない。というわけで、公益法人制度がぶっ潰れるのを機に、作り手、売り手、使
い手の三者参画型の組織を考えている。
・web上に全国規模のクラフト見本市を構築し作り手と売り手を結ぶ。使い手には、どこで何
を売っているかの情報を提供する、年一回クラフト専門の見本市を開く。そして商品サンプル
室を作るのが柱だが、とりあえず昨年のクラフト見本市は三万円の出展料で50人ほど参加し
た。知恵のある者は集まれ!と号令を掛けているところです。




◎内藤稔氏:(株)アクシス◎ 15分+10分
「デザイン交流点で感じること」
・黒板に「信」と書きました。信頼の信です。製品の信頼性が今日のテーマの一つかなと思いま
した。先日、次男が新しく家財道具を全部揃え、電気製品も当然安売り店で買ったと。どのメ
ーカーを選んだと訊くと「A社は選ばなかった。道具としての信頼性がない」と。「B社も絶
対買わない」と。デザインが良いだろうと言うと「親父だめだ!B社タイマーが入っていて壊
れる」と。今の若者たちは意外とそういう尺度でモノを買っている。
・私たちが作っている道具に如何に信頼性があるか。クラフトは目の前で見れば本当に良い器か
どうか分る。しかし家電製品は分らない。買う時はカタログと店員の言葉が頼りだ。先程、セ
ールスエンジニアとかセールスデザイナーと言いましたが、店員が本当に客の立場になって薦
める、そういう教育をしている店は多分生き残ると思う。そして、そういう店とコネクション
のあるデザイナーには常に消費者の意見や思いが入ってくる、それが生き残るデザイナーの条
件じゃないかと私は思っています。

・次は私自身も会員なので耳の痛い話ですが、今日は本音トークなので。JIDAへの苦言です。
過去2回デザインミュージアム展を開いたのですが、既に発刊されたAXIS誌に出ている開
催日と自分たちで決める開催日がずれてしまう。本を見たお客さんは来てしまう。一体、何の
ために誰のためにやっているのだろうか。どういうわけかデザイナーの方たちは団体になると
ドジる。昨年もギャラリーをお使い頂いたのですが、パーティの後、床に何をこぼそうがその
ままで、翌日お客さんがベタベタしている。「美しさってなんでしょうか」。皆さんが団体で何
かをやると、そうなっちゃうのは事実なんです。これでは当然、生き残れないと思います。
・「作ったはいいけど、売り場がない」。今、その相談ごとで四苦八苦しています。私は「都道府
県を中小企業として考えてくれ」と答えています。人口が東京の半分以下の県が多い。要する
に地域があって人が少ないからこそ出来るモノがある。そこを県の担当者に調べ直して貰って
「県、丸ごと」売る。それこそ宮崎県がやっていますが、あの方法が生き残る一つの手段じゃ
ないか。単体では駄目だなというのが如実に見えています。というのは、補助金を受ける業種
も殆ど決まっていますし、年一回、漆が出てきたり木工が出てきたりというのが現状です。し
かし、その背景に隠れているのは、先日アクシスギャラリーでお話になった資生堂会長の福原
さんも言っておられた「文化」ではないか。可能性があるとしたら地域の固有の文化が、この
時期、何かを打開するキーワードになるのではないか。

・そういったことを、デザイナーの皆さんが、普段の仕事以外にちょっと考えて頂いて「生き残
るための」自分のブラシアップ、磨き直しが必要な時期じゃないのかと思っています。
・若い方を始め消費者は、製品に対しては意外と辛辣なことを言います。例えばデザイナーのC
さんの白の製品群はデザイン的に非常に素晴しいという方がいました。ただ「あれを欲しいけ
れども、あれと私は生活は出来ない」「あれに合わせて家中作り替えないと駄目だ。困ったわ
ねえ」と。まさしくそうだと思います。その方の家の内装がウッド調かどうか分りませが、今
までの生活をガラッと変えるデザインの力はあると思いますが、それを一つ入れるために部屋
を変えるか、それを買わないかの二者択一になる。そういったデザインもあります。それが悪
いというのではなくて、一体私たちの生活って何なのだろうかということを、今こそもう一回、
元に戻って考える、二三歩下がって考えてもいい時期じゃないかと思っているのです。


→→→2日目2ページへつづく

更新日:2012.01.06 (金) 10:41 - (JST)