genki_1|JIDA東日本ブロック                     

元気だせデザイン・元気だぜデザイン by 佐野 邦雄

−その1:初めて老人になってみて−



●まえがき●

「女性は自分自身で女性になるのではなく社会によって女性になる」といった言葉があるが、
肉体の衰えを除けば同じことが老人にも言える。

「老人は自分自身で老人になるのではなく社会によって老人になる」のだ。

初めて体験することだから新鮮といえば新鮮だが、近頃、自ら自覚して働きかけることよりも、
何かしら向こうからやってくることが増えた気がする。                     
やってくる最後が死であることは分っているが、その向こうからやってくるものを受け止める
部分に老人特有の感性が働く。社会が自分を必要としていない、自分がいなくても会社も
社会もちゃんと動いているではないかと初めて気がつく。そしてひがみっぽくなる。

若い時は忙しくて気がつかなかったようなことが、妙に気になり出す。デザイナーの独特な
感覚かもしれないが、生活の中でのいろいろな問題が改善されることが社会の進化だと
思っているので、その隙間をかいくぐって、いつまでもまかり通っているものや、
新しく生み出されたものが全く配慮を欠いた無頓着なものだったりすると妙に腹が立つ。

それがデザインと関わっているものの場合、日本にデザイナーはいないのかよ−などと
我を忘れて思ってしまう。いわゆる老人の戯れ言(ざれごと)と呼ばれるものだが、
身近な生活の中からいくつか書きつらねてみたい。


●印刷物のあれこれ●                       


1:記入欄のスペースの狭い書類

これが一番腹が立つ。まわりに余白があるのになぜか記入の部分が狭く小さい。
郵便番号、番地、電話番号、氏名などギュウギュウ詰めにしなければ書き込めない。
そんな時は、その書類を作成した担当者本人と、チェックした関係者の知能指数を
疑わざるを得ない。
担当者は実際に自分で書き込んでみたのだろうか。世の中には長い住所や長い名前が
あることを知らないのだろうか。


2:小さくてほとんど読めない文字表示

天地1ミリの文字がビッシリ。しかも内容は契約条件など、かなり重要な事柄が書いてある。
保険の証書なども100%読む人はほんの一握りだろう。生命保険会社側の未払いが
何100億円とか聞くと、何か読まれては困る事柄が書いてあるのかと勘ぐってしまう。

これは明らかにクライアントと同調した(抗しきれない)グラフィックデザイナーの仕業だ。
科学者や設計者が陥り易い人間疎外の行為と同じだ。こんな現象は先進国では勿論
(技術的に困難な後進国でも)起こり得ないことだが日本では厳然と存在している。

当事者がその気になれば、技術は人間無視の宇宙人向けの抽象物を現出してしまうのだ。
まわりの余白など格好つけることはない。可能な限り大きくすべきだ。格好つけたいなら
クライアントに逆らって生活者の側に立って発言するやり方で格好をつけて頂きたい。

その点で参考になることがある。日本でユニバーサルデザインが叫ばれて久しいが、
私は日本の新聞が文字を大きくしたことが一番素晴しいことだと考えている。
改善以前の古新聞を今見ると、こんなに小さい文字を読んでいたのかとびっくりする。
書きたい情報がむしろ増える中で知恵を出してシンプルにしている。
こういう社会の基盤の部分の改善こそGマーク大賞にふさわしい。
そうかといってスポーツ紙の馬鹿でかい見出しの文字が良いとは決して思っていない。
マスメディアのセンセーショナリズムとコマーシャリズムは宿命的だと思うが、
私はたいしたニュースのない日には一面トップは白紙のままで良いと思っている。
印刷インクが勿体ない。


3:淡くて読めない色を使った文字

淡くてとても読みにくい色で刷られた書類がある。担当者は色を導入して親切心でやった
つもりだろうが結果はまるで逆だ。
私はまだ見える方だが、これじゃ年寄りは無理だよ−と思わず口にしたことがある。
多分、最初のデザインや色校正の時はもっと読めたのだろう。それが本刷りになってチェック
が甘くてこうなったのに違いないと、最大限好意的に思ってもその辺止まりだ。もし最初から
この通りだったとすれば、ぜひ考え直して欲しい。
書類は文字の海を眺めるものではなくて読むものだから。


4:分かりにくい言葉

以前は分かりにくいと言うとカタカナ横文字言葉が代表選手で、安倍前首相も戦後レジーム
などと言わずに、戦後体制と言えば良かったものをと思うのだが、老人たちには、
ひがみっぽさも作用してそれだけで拒否反応を起こしてしまう。あなたたちはもう私の相手
ではないのですよと言っているように受け止めてしまう。
裁判所や役所の難解な用語を分かりやすくしようという試みがなされたが、役所で使う
言葉や言い回しの中には、これじゃ無理だと思わせるものが結構ある。
結局、電話をかけて聞いてみるか、窓口でこんなの分からないの−というような顔を
されながら書き直すことになる。
一つの分かりにくい言葉が原因で全国単位で考えればとんでもない量の紙の無駄遣いになる。

かの谷崎潤一郎は新しい小説が書きあがると最初に女中さんに読んでもらったそうだ。
また、ある新聞社の出版物はある地方都市の中年女性を想定して分かりやすい文章を
心掛けているそうだ。相手を具体的に想定するかモニターを用意するなど仕組みが必要だ。     


5:大量の情報の伝達

大量の情報といえば悪名高いコンピュータのマニュアルや取扱い説明書がある。
一度に大量の情報を伝達したい時、しかも対象が多様の場合こそ知恵の出し所だ。

その点で参考になるのは、毎年春の税の申告時に配付される書類の中の
「所得税の確定申告の手引き」だ。
以前に比べて目立って改善されたと思う。「下書き用申告書」と各人が該当する部分の
関係がかなり分かりやすくなった。簡潔なタイトル、例文の書体の選択や大きさにメリハリ
があり、特に色彩の効果的な使い方は見事で知恵の産物になっている。地味だけどいい仕事だ。
税金を考えること自体あまり愉快にはなれないが、自分でやってみて一応数字が出ると、
公民としての誇りのようなものを感じる。

公共の書類はそこが大事だと思う。フリーランスの事務所を長くやって来て、
最後ギリギリまで見守ってくれたのは税務署なんだと実感があるのでお礼方々記したい。 


6:一方的な情報

製品のデザインと大いに関係のあるPL法(製造者責任法)が施行されて久しいが、
デザイン時の認識が深まったのは当然として、外見上で激増したのは「注意・警告文」だ。
これも購入時に実際に全部を読む使用者はごく僅かだろう。とすれば一体何のために
べたべた貼るのか。皮肉好きの友人によれば事故が起きた時の対策だろうと言う。
だとすれば事故を起こさないためではなく、起きてしまった後の対策であって本末顛倒
であり、 一方に利する情報といえるのではないか。もっとシンプルにならないものか。


●あとがき−やはり5W1H●

いくつか例を書いたが私は評論家ではない。言いっぱなしは性に合わないので何か解決に
繋がることを書こうと思う。
枕草子に「なにもなにも小さきことはみなうつくし」とあるように元々くわしいこと、
こまかいことは日本人の美意識の大事な要素だ。その文化は大切にしながらも、
やはり時代の要請に合わせて行く必要がある。情報を出来るかぎり正確に分かりやすく
伝えることは情報化時代のデザインの重要な働きだ。
そこが今、雰囲気先行のイメージに流れているものが多い。
機能依存主義者の私としては、特に公共性の高い内容の印刷物に要求したい。

デザインはアートと違って必ず「用・機能目的」がある。そこを達成した上での雰囲気だ。

曖昧さも日本の美学なのだが最低限、例の5W1Hをチェック項目の中に必ず入れて
目立つようにして頂きたい。そのWho?の中に老人を是非入れて欲しい。
がんじがらめの規格化や規制ではなく、書き易さ読み易さの標準ぐらいは夫々で決めて
いても良いのではないか。

私はマーケティングとは相手の気持ちになってみることだと思っている。
デザインも同じことが言えるのではないか。特に公共性の高いものはその気持ちが大切
だと思うのだが、どうだろうか。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

佐野邦雄/Kunio Sano
プロダクトデザイナー/Product Designer

JIDA正会員(201-F)

プロフィール:
1938年東京中野生れ。精工舎、TAT勤務後、 JDS設立。
74年 「つくり手つかい手かんがえ手」出版。日本能率協会。
78年〜 ローレンス ハルプリンWS参加。桑沢ほか4校の講師。
79年  JIDA機関誌100号「小さいってどういうこと?」編集。
86年 東ドイツ、バウハウスデッソウゼミナール参加。
92年〜03年 中国のデザイン教育。
01年〜静岡文化芸術大教授。 定年退官後、現在2校の講師。                                
デザイン: 人工腎臓カプセル、六本木交叉点時計塔など 。
現在、小学1年生で経験した学童疎開の絵本を執筆中。

更新日:2012.01.06 (金) 07:53 - (JST)